「わたし悲しかった」と認めてあげる(1)

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みなさまこんにちは。フォトルーム・アンシャンテAkiです。

今回はフォトセラピーの個人セッションでのお話しです。

 

脚色を加えて記事にすることをクライアントさんに承諾いただいたので紹介させていただきます。

 

クライアントさんにセッションにご持参頂いたのは、少し前、5~6年ほど前に撮影された写真でした(トップの写真はイメージです)。

 

クライアントさんはもともとカメラが好きで、よく写真を撮られていたようです。そして撮った写真に思いが写っていることも薄々感じていられました。

 

お持ちいただいた写真を撮られた5~6年前に、辛い体験があったそう。そのことはもうとっくに解決しているのだけれども、過去の写真を整理していたらなぜかその時の感情、とりわけ後悔や自責感情が今頃何度も蘇ってきて苦しくなってしまった・・・。

 

それがどうしてなんだろう、と自分でもよくわからない。前向きに生きているつもりだし、今は今でそれなりに楽しいこともある、しかしその時のことがいつまでもひっかかるのがいやでどうにかしたい、ということで写真とともにセッションにお越しくださいました。

 

まず、いつも通り写真を見ながら色々お話しを伺いました。南の国のバカンスの写真、きれいなお花の写真、近所をお散歩中に撮られたかわいい写真など、カラフルで陽気な写真の数々・・・。「苦しい」とか「自分を責める」という言葉が重なる当時の状況とは無縁の明るさに満ちています。

しかし、写真を見ながらお話を詳しくお伺いするうちに、当時は苦しかったが、まだ小さかったお子さんのために無理をしてでも気丈に振る舞い、できる限りお子さんが楽しめる場所へ連れて行ってあげたりと、お母さんとしてとても頑張っていた、という話がクライアントさんから出てきました。そうしてみるとその明るい写真は彼女が悲しみを見せまい、前向きに頑張ろうとしていた日々そのもののようにも見えてきます。

とてもまじめで頑張り屋さんのクライアントさん。当時はご自身の悲しみは封印し押し殺し、とにかく育児、家事を切り盛りしていた、つまり、自分がちゃんと自然に悲しむことができなかったようです。

 

このように過去の悲しみが、数年経って現れるといったことはよくあることです。このクライアントさんのように、辛い体験のあとに悲しむ時間がなく頑張り続けたという方は、悲しみが遅れてやってくるというのはかなり高い確率で起こるようです。

 

お話を聞いていくうちに、クライアントさんには封印した悲しみに向き合う、と言いますか、悲しかった自分を認め許す、そしてその自然な感情を大切にすることが必要だと感じたので、よかったらその時のことを振り返って話してもらえないか伺いました。そしてここではどんなことを言っても大丈夫であることをお伝えしました。こうなるとフォトセラピーではなく普通のカウンセリングと変わらなくなりますが、良いのです。写真はいろいろな感情を引き出しますから。

詳細は略しますが、すべてクライアントさんの同意を得た上でセッションを進めます。私の理想を押し付けることになってはいけませんから。

そしてクライアントさんからは、お話しと共にその辛い体験に対する自然に起こる悲しみ、苦しみがどんどん出てきました。そうした感情が出るのは当然のこと。そして1回目のセッションはあっという間に終了の時間となりました。

 

次に続きます。