「わたし悲しかった」と認めてあげる(2)
(1)の続きです。
1回めのセッションの後、約1か月後にクライアントさんに再びお会いしました。
クライアントさんからは「あのあと(1回目のセッションのあと)ひとり車の中で大声で泣きました。人がいない場所に車を移動させて大声で。気づいたら2時間くらい泣いていて、自分がこんなに長時間泣けるなんてと驚きましたけど(笑)。でもいくつになっても悲しかったら泣いていいんですよね。」とご報告をいただきました。
わたしは「そうですよ。大人でも男性でも女性でも泣くことはあります。悲しかったらどんどん泣いちゃいましょうよ。」と伝えました。
引き続きクライアントさんからは5~6年前の出来事にまつわるお話は、さらにたくさん出てきました。「こんなこと言っていいのかわかりませんが・・・」と前置きをして、家族や友人には話せない思いなども打ち明けてくださいました。そして話をしていくうちに、だんだん悲しみ苦しみの感情が、クライアントさんのなかで安定してきているのを感じました。
このように何を言ってもOK、と安全が守られた場所で話をして感情を出していくことは、 大いにしたほうがいいでしょう。
色々ネガティヴなものが暴露されて、かえってマイナス志向が強まるのではないかと思われることもありますが、ネガティヴなものを抑圧する方が後々まで害があります。短期的悲観主義でも長期的には楽観主義、というやり方にわたしは賛同します。
さて、2回目のセッションがおわり、3回目のセッションがあり、いくつかのやりとりのあと、私はクライアントさんに「当時がんばっていたあなたになにか声をかけるとしたら、どんな言葉をかけますか?」と聞いてみました。彼女はしばらく思いを巡らせてから「悲しかったの、気づいてあげられなくてごめんね」「〇〇〇〇って思っちゃうほど辛かったんだよね」「・・・・・・泣いていいんだよ、って言います」とゆっくり仰いました。
わたしはクライアントさんの自然な思いが出て、それを認めて癒し、前よりも一歩前進したと確信しました。
こうしたカウンセリングは「苦しみが1日で消えます」「一瞬でよくなります」をいったセンセーショナルな変化はあまり期待できないものだと思います(そうしたカウンセリングを行っているセラピストさんもいらっしゃいますが)。しかし、表に出すことで少しずつでも着実に回復していきます。
写真からは少し離れましたがそれはいいのです。この例のように写真をきっかけにしていろいろなお話が出てくるのは自然なことです。今回のようにできごとがあった時点に焦点を当てたいときに、その当撮影した写真を見るということは非常に有益です。写真は当時の思いだけでなく、それを見ている現在の思いも引き出しますので・・・。