報道的な写真を何でも撮って投稿していいのか、ということを考えさせられました

この記事はプロモーションが含まれています

みなさまこんにちは。フォトセラピーのAkiです。

先日鎌倉大町で死傷者がでるほどの火事がありましたね。いつも通っていた通りに面していて良く見ていた建物でしたので驚き、大変ショックでした。

 

今回は少し長くなりますが、是非お読みいただきたいので少々お付き合いくださいね。

 

軽々しく聞こえるかもしれませんが、被災された方へお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

ツイッターなどには多くの火事の動画が載っていて火事のすごさがよく解ります。今やその現場に居合わせれば誰もが報道カメラマンです。

実際、テレビ局のカメラマンを現場に向かわせるよりも現場にいる人のスマホ映像の方が情報が早いですから、テレビ局の方もスクープを送ってもらうことを推奨してもいます。それ自体は画期的で便利になことだと思います。

 

私は火事の翌日、以前から予定してた実家の墓参で逗子方面へ行きました。いつもはその道を通ってお墓に行くのですがカーナビを見ると当然通行止め。しかし帰りの時間には通行止めは解除されたので現場を見ることに。まさに空爆の跡のように真っ黒に破壊された家に言葉もありません。

 

そして、隣の(無事だった)レストランの下に「写真を撮る暇があったら被災された方のご冥福(?)を祈って手を合わせてください」といった内容が書かれたアナウンス(小さな看板)が置いてありました。

 

これを読んで思わず「ドキッ」としました。

 

きっと火事の真っ最中のときから焼け落ち、崩れ落ちるまで、そしてそのあとも写真や動画を撮る人がたくさんいたのでしょう。書いた近隣のお店の方の気持ちも当然ではないかと思いました。

 

とにかく無残な火事のあとがあまりにも凄惨で声も出ず、この火事現場を撮る気も起りませんでした。

 

実は17年ほど前にウチでもカセットコンロでボヤ騒ぎを起こしてしまい、幸い大事に至らなかったものの火事は他人事と思えないということを改めて思い出しまして。

 

この看板のとおりに手を合わせ、亡くなった方のご冥福を祈りました。

 

バズりそうな被写体を撮りSNSに載せ延々と拡散し続ける、それが当たり前で楽しいしビジネスの成功にも結び付く世界、今はそうなのでそのことはもうどうでもいいのですが、報道色のある写真って撮っていいものといけないもの、逆に撮っていたから真実が分かるもの、そして「撮られた側がどう感じるかを考えなくてはならない複雑なグレーゾーン」があり難しいなと思いました。

 

私のフォトセラピーでは(被写体をみて)悲しい、いやだというマイナスな思いだったとしても撮りたかったら撮ってくださいと言っています。でもそれはあくまでも個人で完結するものでなくてはいけません。

 

撮ることで他人を傷つけない。

 

もし自分の家が火事に遭い、自分の家族・同居人が亡くなってその進行形の家事の様子と残骸をスマホを持った人が大勢撮っていたらどう思うだろう。報道機関がアポを取って取材目的での撮影だとしても悲しくて涙が止まらないのに、一般人が興味本位で、またはアクセス数アップのために撮影するのは「やめてください!」と言いたくなると思います。

 

「写真を撮る暇があったら・・・」の看板に、写真や自分のフォトセラピーについても思いを馳せ、そっと居住まいを正した夜でした。

 

今回の写真は「湘南モールフィル」の屋上駐車場から写ルンですで撮影しました。